6-548 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2007/05/21(月) 03:56:06 ID:AFgzeEyk

 巨大な鉄の固まりを星の海まで押し上げるために稼働を始めた強力な推進機
関が発生させる力の余波で、船内全体がビリビリと振動している。
 「いよいよ秒読み……か……」
 大気と重力を振り払い、かつては神々が住まわんと謂われていた世界へ羽ば
たこうと身震いをする往来船のお気に入りの席に腰掛けたカレンの瞳は、窓の
外に広がる青い空と、天に向かって緩やかなループを描く巨大な滑走路を無機
質に映しているが、彼女の視線は実は何処にも向けられていない。まるで親に
売り飛ばされた少女のように覇気を失い、全ての希望を失ったように消沈しき
った近衛武官の姿など、恐らく宮廷内の誰も見たことがないだろう。
 「姫様……」その言葉は誰に向けられた物か「……申し訳、ございません。」
 武器も権限も全て無くしてしまい、まるで罪人のように引き立てられ幾人も
の兵に監視されているカレンに残された抵抗手段は、黙秘のみ。最後に送った
メッセージと、その後に連絡が取れなくなったと知ったフィーナ姫と達哉の決
断力と行動力を信じて一分一秒でも時間を稼ぐしかないのだ。かくてカレン自
身仕えていたセフィリア王妃と同じ聡明な瞳を持つフィーナ姫であれば、きっと
先手を打って行動を開始できるに違いない。
 「……とはいえ、この大事にお側にいることも出来ぬとは……」なにもかも
奪われ、握る物すら見つけられない両手が拳となって震える「……私のお役目
も、もう終わりと言うことか……」
 『………なら、黙って座っていればいい。』
 「っ!?」
 骨の髄まで染み込ませた鍛錬の賜か、周囲の空気を切り裂くような素早さで
振り返ったカレンの目に見えるのは、後部の貨物デッキへと続く通路と、その
左右に整然とならぶ無数の空座席のみ。ほんの数秒前まで暗く濁っていた瞳が
、いまは猛禽類のそれを思わせる光りを湛え、油断無く周囲を探る。
 「………リース!?」
 『達哉とフィーナは今も戦ってる、二人だけで。』
 「何故、お前がそれを!?」船首方向に目を向けても、やはり通路と座席が
続くのみ「貴様、何を企んでいる!?」
 フィーナと達哉の前に忽然と現れ、なにかしらの意図を持って付きまとって
いる謎の少女、月からの密航者と目されるリースが教団の密命をもって行動し
ていることに疑問の余地はない。王家の妨害に加え、教団の魔の手までもがフ
ィーナ達を狙っているとなると、その危険度は一気に増大してしまう。



 『気になる?』
 「言うまでもない!」
 きっとロストテクノロジーの装備で姿を掻き消しているに違いない。が、実
体がそこにある以上は見つける自信がある。役に立たない視覚情報は放棄し、
カレンは全身の神経を使ってリースの気配を探る。
 「姫様には……」セイフティベルトを外すカレンの背後、微かに漂うのはフ
ィーナの髪の移り香「……指一本触らせはせぬ!!」
 

 (ビュッ!!)

 リースの体であれば数メートルは弾き飛ばすほどの破壊力を込めた拳。迷う
ことなく繰り出した電光石火の一撃は、しかし見えない力場によって空中で止
められてしまった。
 「そこかっ!!」
 だが力場があると言うことは、そこに力場の発生源が存在すると言うことを
意味する。最初の攻撃の失敗に怯むことなく、カレンは素早く立ち上がり体を
捻りながらの横蹴りを少女の腹の高さに向かって……
 「……これを使えば、大抵の素手の攻撃や小口径の銃弾から身を守ることが
出来る。」
 「っ!?」
 カレンの寸止めを予知でもしていたのか。光学迷彩を解除したリースは脇腹
に入る寸前で止まったカレンの脚にさえ何の関心も持っていない平然とした声
で腕の防具を外した。
 「光学迷彩はワタシが使うから渡せない。この慣性制御システムも、カレン
の体格ならあと数分しか連続稼働できない。あとは自分で調達しないと駄目。」
 「………お、お前……?」
 「この船はワタシが電子制圧してるから好きに出て行ける。けど、あと10
分で発進して定刻通りに月に向かわないと怪しまれる。決めるなら、早くしな
いと……」
 「……………………二人は?」
 「岬の塔の中。いまは安全だけど、あと21時間33分20秒後してトランス
ポーターを稼働させたら安全じゃなくなる。」
 「……私が、お守りしてみせる……!」
 「ん。」



 渡された防御フィールド発生器を身に付け、その説明を手短に受ける。衣服
の下になっても操作に影響しないというのはカレンにとっても有り難い。
 「………こっち(地球)側の設備は殆どが破壊されてる。一度でも作動に失
敗すれば、二度と再起動出来なくなると思う。だからチャンスは本当に一回し
かない。」
 徐々に強くなって行く機体の振動と耳鳴り。こうして話している間もなんら
かの方法で船の制御を操作しているのだろう。窓の外に目を向けてみても、管
制室が異変に気付いたような動きは認められない。
 「リース?」
 「ん?」
 「私は、お前の全てを信用している訳ではない。お前の正体は分からないが、
その本当の目的が判別できない以上、味方とはならない。」
 「……………」
 「だ、だからこそ、その、なんだ……」こほん、と何処か居心地が悪そうに
顔を逸らしながら小さく咳払い「……一度、腹を割って話をしてみるのも悪く
はないと思うが……甘い物は……好きか?」
 「……………タツヤの家の隣のケーキは、嫌いじゃない。」
 リースの方も、落ち着かなげに大きな瞳を揺らしている。
 「そうか……」そして、自然と笑みの形になるカレンの口元「……なら、な
おのこと姫様の悲願を叶えて差し上げなくてはならないな。月には本格的なイ
タリア料理の店はないし、私は左門のケーキの作り方を知らない。」
 「………そ。」
 「そういうことだ。」
 そんな会話の終わりを合図に、カレンは颯爽と向きを変え管制塔からは死角
となる貨物デッキの予備搬入ハッチへと足を向ける。
 「………カレン。」
 「うん?」
 「…………や、やくそく………」
 「……………」
 「ふぃ、フィーナが……約束、大事って……」
 「ああ、約束する。」離陸間近の騒音の中でも、不思議とその呟きは必ずリ
ースの耳に届いただろうとカレンは確信した「必ず、みんなでケーキを食べに
行こう。」
 「………………ん。」
 同じ未来を目指すため、二人は背を向け合ったままの第一歩を踏み出した。