6-291 名前: 灰色 猫 1/6 [sage] 投稿日: 2007/02/05(月) 00:29:52 ID:mVSqxbBt

第1話 藤枝ホナミの折檻

「準備… いいですか?」
「私は、いつでもいいけど。いいの?」
 保奈美は屈託無く返問した。彼女自身が元々持ち得ている空気がそういうものなのか、
若い女性が子供にものを尋ねるような素振りである。
 茉理には、それ挑発と受け取れた。が、茉理は怒りを押しとどめ、自分では冷静な
つもりでいた。
「余裕ですか? それともちひろをあんなんにされておいて、今さら引き下がるほど
私が腰抜けだとでも?」
「うーん。そう言う意味じゃないんだけどなぁ…」
「じゃあ、どう言う意味ですっ!?」
やはり、茉理は冷静ではいられなかったのだ。
「ねぇ、茉理ちゃん」
 保奈美は、茉利を諭すようにやわらかい口調で語りかける。
「ちひろちゃんのことで、あなたにイヤな思いをさせてしまったのは悪いと思うわ。でも、
それを理由に私と戦うことに意味はあるの? て言うよりも、それは本心じゃないわよね?」
 保奈美の言うことは核心をついていた。
 それは、茉里にとっては不愉快なことである。理性でも感情でも保奈美と対決することで、
フラストレーションの発露を見出そうしていた矢先に、怒りの矛先である保奈美に諭され、
闘争の無意味さに気付かされた。理屈だけで納得してしまったから感情的な部分が収まらず、
不毛である、と理解しつつも彼女の中で怒りが勢いを増して渦巻いていくのである。
「人を見下ろしてっ!」
「むぅー。そんな言い方するなんて…」
激昂する茉利に、保奈美は唇を尖らせて不満を表す。
「ねえ茉理ちゃん。あなたが私の邪魔をして得られるメリットはなに? もっと簡潔に
言えば、あの偽者を庇い立てする理――」
ズビュン!
「もういいですっ!!」
 保奈美の口上の途中であったが、茉利は抜く手を見せずビームスプレーガンを発砲した。
 保奈美が言わんとしている事は理解している。祐介を肯定するということは、
そのまま直樹を否定するということである。
『くそぉ…』
 ずっと家族として暮らしてきた従兄より、赤の他人である祐介を選択するのは非情な
ことであろう。それも、直樹に妄執する保奈美の中に邪悪なものを感じたからで、
祐介その人に未練があるわけではない。そんなことで家族を裏切る結果を生み出そうとする
己の主体性の無さには、貧しさをおぼえる。
「もう!」
保奈美は口ではそう言っていたが、それほど怒ってはいないようだ。
 保奈美は、茉理が放つビームをテンポよく回避しながら、後退して距離をとる。
飛び道具を持つ者を相手に距離をとるなどということは適確な判断とはいえないのだが、
茉理も茉理であった。ビームスプレーガンを掃射しながら距離と詰めようと保奈美を追っていったのだ。
 保奈美は、公園内を逃げ回る風を装いながらも、わずかに後退する速度を緩め、
少しずつ茉理との距離を詰めていった。
 茉理は、そうとは気付かずにあと数歩踏込めばビームサーベルで白兵戦が行える距離まで迫っていた。



だが、距離を詰めても一向に、保奈美に有効弾を当てられずにいた。むしろ距離を詰めるほどに、
保奈美を射線に捕らえることすら難しくなっていった。
 それが降着状態となって、二人は公園の敷地から外れ西側の山の斜面へと至った。
樹木を盾にして、同時に回避行動を取る保奈美の動きは、なおさら予測が困難になり、
静かに二人の力量の差を示し始めた。
 ここにいたって茉理は、自分が保奈美に勝つための戦術というものを何も用意して
いなかったことに気付いた。戦況を気迫で押し切るなどという芸当は、本来相当のてだれであるか、
双方の実力が伯仲している状況ではじめて行えることなのだ。
勝利とは、あらかじめ敵を分析し作戦をたて、滞りなく実践せしめて初めて得られるものなのだ。
茉理は、はじめから自滅に向かって突進していただけなのだと気付かされ、戦局に圧迫感をおぼえ、
それが保奈美から発せられるもののように感じられた。
 茉理の精神を圧迫したのは戦術面での不覚だけではなかった。そもそも戦う術を何も
用意していなかった根本的な原因、祐介を肯定することによって、直樹が否定されるということを、
真には理解していなかったことだ。祐介が自分の前に姿をあらわしたとき、
彼は直樹の家族に、自分が直樹とは別の人格であると説明した。それに納得できたと思えたのは、
直樹の姿をした人物が目の前にいたからであって、心のどこかで直樹が居なくなった
という意味を受け止めようとはしていなかった。
 直樹がいなくなるということは、消し去ってしまうということは、彼と過ごした時間、
交わした言葉、触れ合ったこと、感情を共有したこと、気持ちをぶつけ合ったこと、
異性としてほのかに意識したこと、直樹との間で紡ぎ折り重ねてきた思い出を
全て否定してしまうことなのだと、戦いの中で茉理はゆっくり認識し始めた。
そして、湧き起こる悲哀、焦燥、脅迫感、茉理の中で受け止めきれない思いが発露を
求めて、彼女を闘争へと駆り立て、いっそう直樹を遠ざける。何かをすれば、
どうにかなるのではないか? そう思わせる人間の性質が引き起こす連鎖の中に、
組み込まれていくのだ。
 茉理は、近接戦闘を仕掛けようと大きく跳躍して距離を詰めようとしたときだった。
「茉理ちゃん!!」
 そう、呼ぶ保奈美の声に、茉理は保奈美のいる場所が予想と大きく外れていることに気付かされた。
 逃げ回っていただけの保奈美が、彼女のほうから距離を詰めてきた。

 保奈美は、ビーム出刃包丁の柄に手をかけながら「いや、これはあの女用よね」と、
思い直し、ビーム文化包丁を抜いた。

 そのときは、まだ、茉理は空中を滞空していたから、まるで身動きが取れなかった。
無防備な状態のところを、側面から地面をすべるようなスピードで接近しながら保奈美が
抜刀したビーム文化包丁の閃光は、紛れもない恐怖として茉理に認識された。
茉理はこの時わき腹から背中の筋肉が“つって”いくのを感じた。
「うぐぅっ!」
 回避行動もとれず、ビームサーベルに持ち替えて防御するにも時間がない。
それでも必死にビームスプレーガンの銃口を向けようとする茉理の焦燥のうめきがもれる。
ズビュン!



 茉理は照準を保奈美の頭部に重ねて発砲した。が、保奈美は放たれたビームを曲線的な
動きで回避した。曲線的な、というのは回避行動の開始から回避完了、再度接近コースへ
の復帰までの一切の動きに区切りのない滑らかなものなのだ。
 保奈美とて、ビームより早く動けるわけがない。あらかじめ茉理の行動を予測していたのであろう。
理屈ではたやすく感じられることだが、この場合並外れたその精度が一部の人間がもつ
才能というものの存在を連想させ、戦慄させるのだ。
バシュッ ギィ!
 薄笑みを覗かせた保奈美のビーム文化包丁が、茉理のビームスプレーガンを切り払う。
 極限状態においては、狂うのがまっとうき精神を持った人間というものであろう。
保奈美が浮かべていた笑みは、平時から狂っていったからこれ以上狂いようがないとか、
意思が強靭すぎたため壊れることなく異常な環境に沿って変形してしまったというようなものでありえた。
『殺されちゃうんだ…』
 ビームを回避しながらも、まっすぐに向けてこられる保奈美の薄笑みに、ビームスプレーガンを
破壊されてから、茉理にそう直感させた。
 現に保奈美が切り上げたビーム文化包丁を振り下ろせば、必殺の一撃となるだろう。
 人間、死に際には走馬灯が見えるという。茉理には、走馬灯は見えなかったが、
抵抗する手段を失った己に、刃を振り下ろさんとする保奈美の姿が静止して見えた。
かつて姉のように思っていた保奈美と何も変わらない表情で、そこに見える。
 戦場に似つかわしくない穏やかな笑みの中の視線と交差する。それから茉理は不思議な感覚を味わった。
意識が体から抜け出したかのような虚脱感に見舞われ、保奈美と対峙する自分の体を見つめていた。
保奈美と自分の肉体を交互に見比べるうちに、保奈美が大きくなっていくように見えた。
あるいは自分が小さくなっていったのだろうか。
 自身の何十倍にも巨大化した保奈美の顔を見上げ、いつのまにか視点が元の肉体に戻っていることに気付いた。
小さな自分の体が保奈美に飲み込まれてしまうのではないかと恐怖をおぼえたとき、
また意識が体から離れていた。それとも、やはりはじめから別の場所から観測していたのだろうか。
 混乱というような不快なものではなかった。ふたつの認識がゆるやかに混ざり合い、
それぞれが定義されているという、形を定める窮屈さが、ほのかに温かい柔らかいものに
変わって、体に染み込んで来るような感覚だ。
「茉理ちゃん」
 奇妙な感覚の中を漂う茉理を呼ぶ声がする。
「!」
 我に帰った茉理の視界の中に再び保奈美の気味の悪い笑みが映る。
 保奈美の顔を起点に、視覚をはじめとして身体の感覚が、一つ一つ実感へと回帰してくる。
その元に戻った身体的な感覚を一様に激痛が支配した。
 保奈美のかわいらしいシューズが、似つかわしくないほど凶悪に深く茉理の鳩尾にめり込んでいた。
 呻き声をもらしたのか? 茉理自身にもわからなかった。ただ、肺の中の空気が全て
押し出されたように感じたから、きっとうめいていたのだろうと思う。
 保奈美は、蹴り上げた茉理の頬に拳をぶつける。
 蹴り上げられた運動ベクトルと真逆の方向から叩き込まれた拳に、茉理はもう痛みは
感じなかった。ただ強烈な衝撃が加わったことを感じ、その体が高速で地面に
叩きつけられようとしていることに、焦って受身をとろうとした。が、抵抗空しく茉理の
体は地面に激突し、バウンドした手足が再びボタボタと地を叩いた。



『下は土でできてるはずなのに…』
 なぜ、これほどの苦痛と衝撃をもたらすのか? 意思をもつはずのない対象に
冷酷さのようなものを感じ、恨めしく思った。
 横隔膜が未だに痙攣し痛みが残る。殴られた頬が熱い。叩きつけられ手足が、
体中が利かない。ほんの数秒前まで、自分が攻勢に出ていたはずだった。
それが、たった二撃くらっただけで満身創痍。
 茉理はうつ伏せに倒れた体を起こそうと手をついたが、感覚がまばらになって力の
入らない手が言うことをきかず、再び地べたに顔をうずめた。ツインテールに結った
柔らかい髪が土にまみれ、口の中にも泥が入り込んだ。惨めな気分だ。それでも、
体を起こそうと今度は、肘をついて体を支える。
 顔を上げて保奈美の姿を探す。保奈美は数メートルと離れていない所から、倒れた茉理を見下ろしていた。
 茉理が地面に叩きつけられたときに、合わせて止めをさすこともできたはずだ。
それをしなかった余裕とは、どこまでも自分を見下したものだ。この危機的状況にあっても
茉理の中では惨めさが怒りへと変わっていった。

 保奈美は、「少しやりすぎたかな?」とも思いながら、地べたに這いつくばりながらも
闘気を失わない茉理に、「もう…」と内心ため息をついた。
 妹のように思っていた茉理が、不屈の闘志をたぎらせ反撃の機会をうかがっている。
月並みなら微笑ましくもなるものだが、保奈美はリアリストでもあったし、無責任な人間
ではなかった。勇敢であるのは結構なのだが、引き際を知らないというのは、
ただ無謀なだけだ。保奈美は、そんな茉理の有り様に気をもいだ。
 だから、今の茉理は受け入れがたいのだと保奈美は、思う。その感覚、激しいものでは
なかったが怒りや苛立ちというような類のものが、悲哀に端を発していることに気付きながら、
母親になり子供を叱る時にはきっとこんな気持ちになるのだろう、などと考えた。
 今、保奈美と茉理の間にあるへだたり。保奈美の思惟を以ってしても計りきれなかった
膨大な現実が、相手が独立した自我を持った人間なら、それが我が子であっても
すれ違うこともあること予測させた。いずれ、母親という子供に対して責任を持つ立場に
立った時、そのことを見て見ぬフリをしてはならない。責任を全うするということは、
そう言うことだと保奈美は思う。だから、今もきちんと茉理に教えてやらねばならないのだ。
また、別の感情からあの女にも思い知らせてやる必要があるだろう。とも思った。

『確かに強い。だが、絶対無敵ではないはず。私にだって勝機はある』
 茉理は保奈美との間に、さっき落としたビームサーベルがあるのを確認すると、
「動いてよ」と己の体に念をおしてから、全身のバネを使い跳ね起きる。その動作の勢い
を殺さずにビームサーベルを拾い、起動して保奈美に切りかかった。
 保奈美もそれに合わせてビーム文化包丁を起動して受けようとするが、双方の刃が交わることはなく、
茉理のビームサーベルの刀身が、ビーム文化包丁の手前で空を切った。
 間合いを読み違えたわけではない。これが茉理のフェイントであった。
茉理は一気に後退して、樹木から樹木へ飛び移り、保奈美の視界から姿を消す。
「フェイク!?」と保奈美が気付いたとき、茉理はすでに真後ろに回りこんでいた。
 保奈美の首筋をめがけて薙ぎ払うように放った一撃に、茉理は必殺を確信した。が、
ギュギッ!
保奈美は振り返ることなく、腕を伸ばしてビーム文化包丁で茉理の一撃を受け止めた。
 完全に予想外な保奈美の動きに、茉理は二撃目を用意できなかった。この未熟さこそが
二人の実力の差である。



 保奈美は受けた刀身をくぐるようにして、後ろ向きのまま背中を茉理に密着させると、
その腕をつかみ一本背負いの要領で地面に叩きつけた。
「がっ、はぁっ…」
 茉理自身の運動エネルギーを利用した攻撃に、受身もとれずしたたかに背中を打ちつけて、
肺の中の空気が無理やり押し出された。
「なんのっ」
 すぐに起き上がり、ビームサーベルで切りかかろうとした茉理の目に飛び込んできた
ビーム文化包丁の閃光に、戦慄を覚えた。
茉理にとっては早すぎる保奈美の反撃に、防御に回らざるを得ず、冷や汗をかかされたこと憤った。
『こぉんの』
 怒涛の勢いで保奈美に切りかかる茉理であったが、小回りがきく分防御向きでもある
ビーム文化包丁相手には有利な戦い方とはいえなかった。
 案の定。茉理の息があがり始めたころを見計らって、保奈美はわざと隙を見せて茉理に
大技を誘った。
 茉理は、袈裟切りに振り下ろしたあとの返す刀で、保奈美の心臓めがけて突きを繰り出した。
 これを待っていた保奈美は、一切あわてる素振りを見せず、ビームサーベルの切っ先を
ギリギリまで引き付けてから、横向きに体をさばき、流れるように左腕を伸ばしながら、
右手で肘打ちを繰り出した。いや、茉理の顔の前に肘を置いただけなのかもしれない。
ゴッ!
と、鈍い音が辺りに響いたように思えた。
「うぅ… ぶ」
 頬のあたりに直撃した保奈美の肘打ちで、口の中が切れたのだろう。血液の混じった
よだれが、口元を抑えた茉理の手の隙間からこぼれた。
 激痛に力が抜け膝をついた。クラクラして揺れる視界が、さらに涙でにじむ。純粋に
痛みから涙が出た。仕方がない。だって女の子だもん。
『直樹…』
 不意にその名前が思い浮かぶ。身勝手なことだと自己嫌悪に陥りつつ、茉理は再び立ち上がる。
 また、保奈美に挑んでは強烈なカウンターに倒れた。それでもまた立ち上がった。

 保奈美の戦い方は、打撃にしても投げ技にしても相手の力や重力を利用したものが主たるものだった。
合気道や柔道というものに近いものだが、相手の攻撃を受け止めたり、相手をつかんでいる時間が
極端に短いのだ。それゆえに、相手の攻撃を受けとめて反撃、受け流して反撃という
プロセスを驚異的なスピードで実行でき、攻勢に出ていたはずがいつの間にかヤラレていた
という状況に陥るのである。

 夕焼けが色づく頃。山間の林の中は、だいぶ暗くなっていた。あれから何度保奈美に
挑み倒されただろうか。茉理は髪も服も血だらけ泥だらけになっていた。
 茉理はフラフラと後ずさり、雑木林の木に寄りかかると、そのままズルズルとへたりこんだ。
『もう力が出ない… こんなとき直樹なら、なんて声をかけてくれただろう?』
 それももう、二度と思い出せないような気がした。直樹を否定してしまったのは
間違いなく自分なのだから。
 茉理は、自分が後悔していたことをやっと受け入れ始めた。



 林の外の明かりに浮かび上がった保奈美が、ゆっくりと歩いてきた。
 保奈美は茉理に止めを刺すわけでもなく。スカートのポケットから、ハンカチを
取り出す。花柄をあしらったピンク色のお上品な感じのするハンカチだった。
 茉理の顔をぬぐおうと手を伸ばす保奈美に、茉理は最後の力を振り絞って手刀を放った
が、保奈美の姿はそこにはなく、虚しく空を切った。
 すいっ、と横から手が伸びて、やわらかい生地の感触が茉理の頬をぬぐう。
 茉理が認識できないほどのスピードで、保奈美は茉理の隣に移動していた。
「本当にいいの?」
 悲哀の表情を浮かべて、手を動かしながら保奈美が問いかける。
「…もう …いないんだ」
「ん?」
「だって… もう、直樹はいないんだ…」
 茉理の目から涙がこぼれる。
「直樹はもういなくなっちゃったから、祐介さんになっちゃったから… 祐介さんが
幸せにならないといけないんだ…」
「それでいいの?」
「………」
「それで、なお君を諦められる?」
「………」
「なお君のこと。好きよね?」
 茉理はビクリと肩を震わせてから、グスグスと泣きながらコクリとうなずいた。
「私もなお君が大好き。愛してる。だから、茉理ちゃんにも絶対あげない」
 保奈美は茉理の顔をつかまえて、自分の顔の方に引き寄せる。
「ひっ!」
 突然の乱暴な扱いに、茉理は小さく悲鳴をあげた。だが、彼女が真に恐怖したのは
保奈美の目を覗き込んだ後だった。
 どこまでも深く透きとおったその瞳は、そこが見えなかった。吸い込まれそう、
と言う例えはこういうものを指して言うんだろうと茉理は思った。
 保奈美は続ける。
「私は絶対に諦めない。きっとなお君を助けてみせるわ。だって愛しているんですもの」
『保奈美さんは純粋だ…』
 茉理は羨ましくも思う。思っていたのだ。
『私も直樹が好き。愛してもいるんだと思う』
 だが、もう自分にはそう言う資格はないのだろう、と思う。でも、直樹と一緒に居たかった。
恋人じゃなくてもいい、ただの従妹でもいい。直樹と一緒に居たいんだ。
「直樹に会いたい…」
「うん…」
 保奈美はそっと茉理を抱きしめる。
「直樹のそばに居たいっ!」
「うん」
「うぅ… あああああああぁぁぁぁぁぁ」
 押し殺していた素直な気持ちを吐き出し、それを尊敬している保奈美に肯定してもらえた。
茉理は声をあげて泣いた。
………
……




 その後、茉理は一度保奈美のうちによって傷の手当てを受けてから、家路についた。
断ったのだが、結局保奈美は、板垣家まで茉理を送ってくれた。
 応急処置を受けたといっても傷だらけの茉理を、家族はだいぶ心配したが、茉理は、
「大丈夫。転んだだけ」と、嘘をついて誤魔化した。
 茉理は気持ちが軽くなったのを感じた。涙と一緒に薄い胸の中のわだかまりも出て行った
のかもしれないと思った。

 茉理を送りとどけてから、
「さぁ、私はやらなきゃいけない事があるもんねー」
 そうつぶやいて、保奈美は夜の住宅街へと消えていった。