4-153 名前: 神楽スキー [sage] 投稿日: 2006/11/01(水) 19:56:28 ID:d/krFj18

――――1――――

「う・・・・ごめんなさい・・・・さやか」
「ふぅ・・・・私も人の事はいえないけど今日は随分飲んだわね・・・・カレン」

王立博物館館長 さやかと王国付き武官 カレン・クラヴィウス 互いに気の置けない親友同士であり、時折こうして二人で私的に酒を飲み交わす間柄の二人だがカレンがこうもフラフラになるまで呑む事は珍しい。

――――でも、無理もないかもね―――――

アルコールで顔が真っ赤になり、足元の覚束ないカレンに肩を貸しながらさやかもアルコールにぼんやりする頭の隅で思う。
武官というのは例え平和になり形骸化しようとも荒事に当たる職なのだ。
いかにカレンが優秀で先代の女王や国王に信頼厚い存在であったも、いやだからこそ女性であるカレンへの風当たりは強い。
冷静沈着、気丈を装っても心の内に堪るストレスは自身重い立場にあるさやかをしても計り知れない物があるだろう。

――――カレンもいい人を見つければいいのだけど――――

カレンは人格も能力もそして容姿も同じ女であるさやかから見ても素晴らしい女性だ。
やや固すぎるし自分にも他人にも厳しすぎるきらいはあるがそれを受け止めて包み込んでくれる「男の人」が現れてくれればと切に願う。

――――もっともカレンにその気は全くないようだけれど―――――

男の気配が無い事に関しては人のことがまったく言えないさやかなのだが自分の事は棚に上げてる。

「さて、どうしたものかしら・・・・達哉君に迎えに来てもらおうかな?」

細身であるとは言えカレンを連れて家まで戻るのも大使館まで連れて行くのもさやかには重労働だ。

「へっへっへ、なら俺たちが送ってあげようか?お二人さん」

その時だった。
3人の黒い影がカレンとさやかの二人を囲むように現れた。

「・・・・なんですか?貴方たちは?」

普段からは想像も出来ない緊張した固い声で自分の周囲を囲む男たちに問うさやかを男たちはにやにやと眺める。

「なにってなあ?」
「ああ、夜の道を妙齢の女性二人は危険だしなぁ」
「そうそう、俺らが安全なところまで送ってあげようってわけさ」
「・・・・いえ、結構です。」



男たちのニヤニヤ笑いを眺めながら掛ける下心丸見えの声にきっぱりと断りの言葉を放ち、さやかは男たちの輪から出ようとするが、男たちは笑いながらその手を掴み獲物の逃亡を許さない。

「おっと、遠慮するなよ」
「は、離してください!」

女性としての本能的な危機がさやかを苛む。
カレンが素面であればこんな男たちなど物の数ではない。だがカレンの強さを過信してこんな遅くまで飲み歩いてしまった己のうかつさを呪う。

「さやかを・・・・離しなさい」

パシッ
だがそんな男たちの腕を鋭い声と共に払いのけたのは自分が肩を貸していた酔っ払いだった。

「おうおう、なんだなんだ? 俺らが親切に送ってやろうってのにその態度は?」
「そうそう、俺ら傷ついちゃうジャン♪」

ニヤニヤニヤ
カレンのそんな態度も鋭い視線も男たちにとっては獲物の可愛い足掻き程度にしか見えないのであろう。
普段であればその考えはあまりにも愚かしいとしかいえない。

「黙りなさい!・・・・ぅ」

だが、今は確かにその考えは正しかった。
カレンの脚がふらつき倒れこむのを男が抱きとめる。

「おうおう・・・・こんなに酔っちゃって・・・・」
「は、離しなさい」

男の酒臭い息がいやらしい手が気持悪い。
なのにアルコールに酔った意識と身体が言う事を聞いてくれない。

「か、カレンを離して・・・・やっ!」
「えへへへ、お嬢ちゃんはこっちだよ」

――――さやか! なんてこと私が・・・・私が・・・・こんな――――

自己嫌悪などという生易しいレベルではない自己増悪。
何のために剣の腕を磨き、己を鍛えたのか? 大切な人を・・・・無二の親友を危険に曝し、護る事も出来ない剣になど何の意味がある・・・・
己に対する深い絶望と怒り、なのに意識が朦朧とし、擦れて消えていく・・・・

だがしかし、意識が掻き消える最後に・・・・何故かとても心休まる温もりに包まれた気がした。



――――2――――


「う・・・・ん・・・・」

カーテン越しに差し込む朝日の眩しさに意識が覚醒していく。

――――ここは・・・・・?――――

覚醒間際のはっきりしない頭に不意に激しい頭痛が襲う。

「・・・・・っ」

――――昨日、さやかと一緒にお酒を飲んで・・・・――――

見覚えのある天井、ここは朝霧家の客間なのだろう。
二日酔いの激しい頭痛に頭を抱えながら身体を起こす。

――――いくら休日前とは言え羽目を外しすぎたわね――――

記憶がはっきりしない・・・・記憶がなくなるほど自分は泥酔してしまったのかと思うと自己嫌悪に陥る。

「・・・・おはようございます」

身支度を整え、朝霧家のリビングに姿を現したカレンに奇妙な沈黙が出迎えた。

「おはようカレン」
「おお、おはようございます。カレン様」
「お、おはようございます。カレンさん」

自分の仕える月の王家の姫であるフィーナとそのお付きのメイドであるミア、朝霧家の住人である麻衣が僅かに感じられる緊張と違和感。

「昨夜はご迷惑をお掛けした様でまことに申し訳ありません」

さやかの姿が見えないのはおそらく自分同様呑み過ぎてしまったためだろう。
このリビングに流れる奇妙な違和感に戸惑いを覚えながらカレンは尋ねる。

「それで、・・・・その実は昨夜の事を覚えていないのですが、何か私は失礼な事をしなかったでしょうか?」
「「「え!?」」」



その瞬間の全員の反応は見ものだった。
フィーナは目を見張り、ミアはあわあわと慌て、麻衣はぽかんと口を開いてカレンを見つめる。

「え? あ、あの・・・・?」
「カレン・・・・貴方覚えてないの?」

フィーナの驚いた顔に不安が増長する。まさか自分はそんなに失礼な事を・・・・?

「あの私が何か・・・・・?」
「ふぁ・・・・おはよう・・・・」

その時、リビングに大きな欠伸と共にこの家の長男である朝霧 達哉が姿を見せる。

「おはようございます・・・・どうしたんですか?達哉君・・・・その顔」

疑問は横に置いて置いて昨夜御世話になった家の住人への挨拶を行なおうとしたカレンだが、その当の達哉の顔に片目パンダのような目の周りの痣があるのを見て訝しげに顔を顰める。

「・・・・・え?」

その言葉にこれまた呆気に取られたような表情で、挨拶を返すのも忘れ達哉がカレンを見返した。

「あの・・・・達哉。カレンはその・・・昨日の事をどうも覚えていない様なの・・・・」
「あ、ああ。なるほど・・・・かなり酔ってたからね。カレンさん・・・・」
「あのフィーナ様? 達哉君? 私が何かしたのでしょうか?」

二日酔いの頭痛がガンガンと頭の中を掻き乱すがどうもそれどころではない。
記憶の無い時に自分はそれほど無礼な事をしてしまったのかと顔が真っ青になる。

「あのね・・・・カレン。貴方は昨日・・・・」
「いや、カレンさん。そんなたいした事じゃないんだ。」
「達哉?」

フィーナの言葉を遮り、達哉があっさりと言い切る。
その言葉にリビングの全員が達哉の方を驚いた顔で見つめるが、二日酔いの激しい頭痛と焦燥に捕らわれたカレンはそんな怪しい態度にさえ気付けない。

「あの・・・・?本当に?」
「ええ、まあちょっとかなりさやか姉さんもカレンさんも深酔いしてしまったらしくて自分が迎えに行ったんですよ」

苦笑しながら頭を掻く少年の姿に安堵しながら、自分の泥酔したはしたない姿を見られたのかと顔が赤くなる。

「そ、そうだったんですか・・・・達哉君。迷惑をかけたようでごめんなさい」
「いえいえ、カレンさんにはいつもさやか姉さんが御世話になってますから」

深々と頭を下げるカレンに達哉が慌てたように顔の前で手を振る。

「ふぁ〜、おはよう。昨日は呑みすぎちゃったわ。なんか記憶に全然ないの・・・・ってどうしたのみんな?」

そしてリビングに入ってきたさやかの言葉にカレンを除く全員が脱力し、さやかとカレンが不思議そうに顔を見合わせたのだった。



――――3――――




「・・・・・やっぱり気になるわね」

ポツリとカレン・クラヴィウスが呟く。
朝霧家ので朝を迎えた日から既に数日が過ぎ去っていた。
王国武官としてのきちっとした制服に身を包み、帯剣した姿でゆっくりと道を行きながら顎に手を当て考えに耽る。
あの日は達哉の言葉に納得してしまったがよくよく考えてみるとあの時の皆の態度は怪しすぎた。

「やはり何かしてしまったと考えるべきよね・・・・」

それも態度から考えて自分が達哉に対して何か失礼な事をし、それをあの少年が庇ってくれたと見るべきだろう。
フィーナや朝霧家の住人の態度を考えにあわせて、カレンの明晰な頭脳がその答えを導き出す。

「はぁ・・・・参ったわね」

つくづくあの日の自分に自己嫌悪に陥る。
しかし、自分はいったいあの少年に何をしてしまったのだろうか? 記憶に無いというのがなんとも不安を掻き立てて仕方が無い。
あの目の痣と関係あるのだとしたら・・・・まさか酔った自分が彼に絡んで殴りつけたとか?

――――う・・・・だとしたら最悪だわ。まったく、達哉君もはっきり言ってくれればいいのに・・・・――――

おそらく自分を庇ってくれただろう少年の優しさに感謝しつつも、それでも苛立ちをぶつけてしまう自分の身勝手さに苦笑する。
その苛立ちの原因が自分の中に無意識に芽生えかけているとある感情のせいなのだとこの時にカレンには判るべくも無い。

「あ!! てめえあの時の!!」
「そうだそうだ! あの時の女じゃねえか!」

考えに耽るカレンに不意に見覚えの無い男たちの声が掛けられる。

「・・・・なんですか? 貴方たちは?」

衣服をだらしなく着崩した見るからに柄の悪そうなガタイの良い3人の男たち。
間違ってもお知り合いになりたい様なタイプではない粗野な男たちの態度に不快を感じつつも冷静に言葉をかける。

「すっとぼけやがって! この女(アマ)ぁ!」
「てめえの連れの男にひでえ目に合わされた礼だ! たっぷりその身体に味あわせてやるぜ」
「・・・・連れの男?」

まるで意味が解らない。この男たちは何を言っているのだろうか?

――――待って・・・・?――――

不意に記憶の端に上がる男たちの醜悪な顔、さやかの沈痛な表情・・・・
そしてピースが組みあがるように記憶が連鎖して蘇ってくる。

「・・・・そう言うことだったのですか・・・・」
「あん? 何言ってんだてめえ?・・・・・ふぎゃ!」
「な、なにしやが・・・・あぎゃう!!」

まさしく一瞬だった。
本来のカレンの力量であればこの程度の男たちに不覚を取る道理は微塵も無い。
またたくまに3人を叩きのめし、警察に突き出した後、カレンは深々と額に手を当て深々とため息をつく。

「・・・・最悪だわ・・・・」



――――4――――


「なるほどそう言うことだったの・・・・。わたしも少し変だと思ってたけど」

後日、行きつけのバーにさやかを呼び出し、カレンはぽつぽつと思い出した事情を語る。
あの日、酔って自由にならない身体を男たちに蹂躙されてしまう寸前・・・・遅くなったさやかを心配して捜しに来た達哉に救われたのだ。

「達哉君にはほんとうに悪い事をしたわね・・・・」

ポツリと酒の入ったグラスに口もつけず、そのグラスを満たす琥珀色の液体を眺めカレンが自嘲するように呟く。
あの時、不意をつくことに成功したとは言え、なにしろ相手は体格のいい男が3人だ。
武術を修めている自分ならともかく、健康的な男児とは言え一般人の達哉ではその戦力差は絶望といってもいい。

――――だけど、彼は助けてくれた――――

外見から見えるのはあの目の痣だけだろうが見えない部分にもかなり反撃を受けていたように思う。
途中警察が駆けつけてこなければあんな怪我ではすまなかった事だろう。

「助けてもらったわたしたちが言うのもなんだけど・・・・無茶をするわ達哉君。昔からだけど」

はぁ・・・・深いため息をついてさやかも悲しそうに呟く。
二人ともまったくお酒が進んでいない。責任ある大人の自分が泥酔して危機に陥り、少年に救われ、しかもそれをまったく自覚していなかったのだから落ち込みもする。

「・・・・そうね。」
「カレン・・・・」

なによりカレンの落ち込みが酷かった。
思い出してしまった、あの時痛感した自分の迂闊さと無力さ・・・・そして辱められ様とした自分を救い出し、優しく抱きとめてくれた達哉の胸の広さと心地よさ・・・・

――――え・・・・?――――

不意に、カレンの意識と全身が硬直した。

待て?今自分は何を思った?
ほとんど酒に口もつけていないのに急激に頬が熱くなる。

――――ちょ、ちょっと待って? わ、私何を考えて――――

意識した途端その感情は爆発的なまでに加速し脳に浸透した。
普段の冷静な判断力も、明晰な頭脳も沸騰した意識にまったく役に立たない。

「・・・・カレン?」

いきなり耳まで真っ赤になったかと思うとわたわたと慌て出した親友の見た事も無い様子にさやかが、ぽかんと奇妙なものでも見つめる様な目を向ける。

「あ、いや!な、なんでもないの!そ、そうなんでもないのよ!」
「・・・・・はぁ?」

――――そ、そうよ。た、達哉君なんて関係・・・・だ、だからなんで彼の名前がここで出てくるのよ〜〜〜――――

「えっと・・・・ひょっとして・・・・」

不意に親友の様子に思い当たった考えがニマ〜〜〜ッとさやかの表情にいたずらを思いついた小悪魔の様な笑みを浮かばせる。

「な、なに・・・・?」

未だ頬を赤くしたまま、その親友の表情に警戒しながらカレンは、椅子に座っている以上後ずさりも出来ず、脅えるように背中をそらせる。

「・・・・恋しちゃった?」



ヒュボン!!
その瞬間、音を立てて頭のてっぺんから湯気が噴出すのをさやかは確かに見たような気がした。

「な、な、な・・・・・・」
「カレン・・・・わかりやすいのね。貴方の反応・・・・」

少しだけ呆れたような目でカレンのあまりにも初心な反応を見つめる。

「な、なに言ってるのよ。わ、私は別に達哉君の事なんて・・・・」
「カレン・・・・」

ポツリとカレンの慌てふためいた言葉を遮ってさやかが微笑む。

「な、なによ・・・・?」
「私、達哉君なんて一言も言ってないわよ?」
「――――っ」

――――うわ〜カレンってば可愛い――――

あまりにも見たことの無いカレンの乙女ちっくな態度にどうにもたまらなくなって思わず頭を撫で撫でしてしまいたい欲求に捕らわれるさやか。
熟した林檎やトマトと比較しても遜色ないレベルに赤面した親友の顔を覗き見ながら、弟分の顔を想い浮かべる。

「カレン、達哉君とならきっとお似合いよ」
「だ、だか!ち、ちがっ!」

カレンのあたふたする様子を意地悪く眺めながら、親友の微笑ましい恋が実るといいなとさやかは心の中でエールを送ると同時に、親友の迷う背中を軽く押そうと言葉を紡ぐ。

「・・・・ねえ、少しだけ真面目に話を聞いてくれない?」
「さやか?」

不意にそれまでとまったく違う真剣な表情と声にカレンが戸惑うようにそっぽを向いていた顔を振り向かせる。

「カレンは真面目な性格だから、自分の気持に戸惑うのも認めたくないのも解るの・・・・」
「・・・・・・・・」

思わず否定の言葉を紡ごうとするカレンに静かに首を振ってその言葉を押し留め、さやかは言葉を続けた。

「たしかに私の勘違いかもしれないわ。結局のところカレンの心はカレンにしか解らないと思うから・・・・でも・・・・」

そっと静かな微笑をカレンに向け最後の言葉を戸惑い迷う親友に贈る。

「例え、カレンの心が何処にあるのだとしても私は応援するわ」
「さやか・・・・」
「だから、自分の心を偽るのだけは止めて、・・・・素直に自分の心を見つめてどんな結果であろうとその想いから逃げないで上げて欲しいの」

じっと自分と初めて逢ったときから変わらない。
おせっかいで、お人よしで、その癖、絶対に折れない芯の強い瞳。

「・・・・ええ、判ったわ」

カレンは降参とばかりに小さく両手を挙げて、息を吐く。

「よく考えてみる・・・・けど私が達哉君を・・・・なんて絶対にありえないわよ」
「ふふふ・・・・そうかしら?」



――――5――――


ユラユラユラ・・・・
朦朧とした意識の中、全身が心地よい温もりに包まれ、決して不快でない揺れがゆっくりとまどろみの中にいるカレンの心を揺さぶる。

――――なに・・・・んだ。・・・・さん。またこんな・・・・せて――――

どこかで聞き覚えのある声が僅かに意識の中に浮かび上がり、その優しく心地よい響きと温もりに全てを委ね、赤ん坊のように傍にある存在に頬を摺り寄せた。

――――ふふふ、ごめんなさい。でも・・・・君がきっと・・・・と思ったの――――
――――だから、朝方俺に・・・・のか――――

耳元で響く優しい声が気持ちいい、もっと聞いていたい。もっとこうしていたい。

――――ふふふ、カレン可愛い。よっぽど安心・・・・なのね。頼もしいナイトさんの・・・・だし――――
――――・・・・さん!――――

だから、今にも覚醒しそうな意識は再び浅い眠りの中に消えていく。
少しだけ、自分の胸の内に感じる温もりに身を摺り寄せて・・・・頑なな心の枷をすこしだけ緩めて・・・・

・・・・・ユラユラユラ・・・・

どれだけそうしていただろうか・・・・軽い衝撃が全身を揺さぶり、柔らかい何かに背中が包まれる。
だけど同時に自分が全てを委ねていた温もりが離れようとしている。
それがイヤでそっと絡めていた両手に力を入れる・・・・もっと傍にいたくて・・・・もっと・・・・

――――カレンさん・・・・ほら離して――――

優しく甘い声が耳をくすぐる。
普段ならきっと聞けない甘くて優しい響き。それが嬉しくて、それが幸せで・・・・なのに紡がれる言葉に少し悲しい。

『ん・・・・いや・・・・もっと・・・・』

無意識に紡がれる本心の言葉。
もっと抱きしめていて欲しい。もっと甘く囁いて欲しい。

――――酔っちゃってるなあ。でもなんだかこういうカレンさんって可愛いな――――

涙が出そうなほど嬉しい言葉、これはきっと夢なのだろう。でも夢なのにちょっとした不満。

『酔ってなんかいない・・・・わ』

そう、これは私の本心。彼を離したくない。彼に離れないで欲しい。
スッ・・・・首に回した手に力を込める。驚いたような表情の『彼』の顔がどんどん近づいてくる。

『好きよ・・・・達哉君・・・・』

夢の中くらい・・・・素直になったっていいわよね?

優しく触れる唇同士・・・・唇に伝わる心地よい感触と熱がアルコールで緩んでいた理性の枷を溶かしてゆき、内に隠された想いが噴出し胸を切なく焦がす。

――――カレンさん・・・・――――

驚きに満ちた顔が悲しい。夢の中でさえ彼は自分を受け入れてくれないのだろうか?

私は・・・・こんなにも貴方のコトが・・・・・でも、そうよね。

自嘲するように胸の中で深い溜め息を吐く。



トクン・・・・トクン・・・・

だがもはや、想いは偽れない。誤魔化せない。
自分が夢の中で少年とキスしただけだというのに胸の鼓動が熱く激しく脈打つ。
アルコールに醉っているとはいえ聡明な頭脳は自分の中に宿った想いをあっさりと認識し、誇り高い心は誤魔化す事を許さない。

私は・・・・・

――――カレンさん・・・・本気にしていいんですか?――――

『はぁ・・・・んん・・・・』

頬を寄せて囁かれ心地よい吐息が耳を優しく擽り、切なく甘い吐息が漏れた。
武官という職の中で必要無い、むしろ邪魔だと封じてきた自分の中の『女』が緩やかに目を覚ます。

返事をするのももどかしく、優しいけれど優柔不断な彼に自分の想いを込めてもう一度口付ける。

『あ・・・・ん・・・・』

逞しい腕の中に引き寄せられ、恋焦がれた胸の中に抱きしめられた。

心地いい・・・・堪らない・・・・想い慕う男性の胸の中がこれほどに自分の胸を優しく掻き乱すなんて・・・・
年下の少年の逞しさと想像以上に広い胸に急激に彼の中に『男』を感じてしまう。思わず彼の背中に手を回し、頬をその厚い胸板に埋めた。

『はぁ・・・・あっ・・・・ん』

羽根のように軽いキスが頬に、額に、首筋に振る。

あ、あれ?・・・・こ、これって夢なのよね?

微弱な電流が背筋を駆け上がり、彼の唇が触れた所は火の様に熱くなり、甘美な疼きを発する。
その熱はやがて全身へと広がっていき、彼に触れられていない部分までが熱く切なく疼き始めた。

感覚が鋭敏すぎる、認識できる情報が鮮明すぎる・・・・まさか・・・・これって?

「可愛い。カレンさん・・・・――――」

不意に夢現に聞こえていた声が鮮やかに鼓膜を振るわせた。
現実では囁かれるはずの無い言葉に例えようも無く胸が騒ぐ。
男勝りで寡黙な自分を彼が可愛いなどと言ってくれるわけが無い。それが夢でも嬉しいと思う。

でも、まさか、そんな、これって本当に・・・・

「ま、待って・・・・達哉君・・・・あぁっ!」

首筋に打ち込まれた快楽の楔に拒絶の言葉が弾けて消えた。

「まさか・・・・こんな・・・・はっ・・・・ああっ!」

首筋を吸われ、耳朶を擽られ、生まれて初めて味わうめくるめく快楽の嵐に儚い理性の抵抗が崩れ落ちる。

自分がこんな少女趣味だなんて思いもしなかった。
自分がこんなに一途に男の人の名を呼ぶときが来るなんて想像もしなかった。

夢じゃない、妄想でも、幻でもない・・・でも、でも・・・・

自分の身体を優しく触れる彼の手がたまらなく心地よくて止めようと足掻く動きが止まる。
止められない、止めたくない。身も心も全て彼に委ね。この感覚に溺れたい。



――――自分の心を偽るのだけは止めて、・・・・素直に自分の心を見つめてどんな結果であろうとその想いから逃げないで上げて欲しいの――――

先ほどのさやかの言葉が思い浮かび上がり、彼を止めようとした手が力なくベッドの上に投げ出された。

さやか・・・・わたし・・・・私は・・・・

自分の纏う衣服の一枚一枚が彼の手で取り払われ、ベッドの下に落ちてゆく・・・・

「いや・・・・見ないで・・・・」

思わず自分の腕で身体を掻き抱き、彼の目から逃れるように横を向く。
部屋に差し込む月の光の下、ベッドの上に横たわり、彼の目に曝される自身の肌にどうしても恥らってしまう。

「どうして・・・・?」
「だって・・・・私の身体は・・・・」

言い澱む。
武官として鍛えた私の身体はさやかの様なふくよかさや女性としての柔らかさからは程遠い。
なにより訓練や任務で刻まれた傷跡がいくつも消えることなくその肌の上に刻まれている。
武官として王国に仕える者として刻まれた傷を恥じた事も後悔した事もなかったが、それでも恋する人の目に触れる醜い自分の身体に涙が零れた。

「私の身体は・・・・見てても楽しくないでしょう?傷だらけ――――」

そっと唇に押し当てられた人差し指が私の自虐の言葉を遮り、その指が私の目の端の涙を拭う。

「綺麗だよ。カレンさん・・・・」
「うそ。そんな事・・・・はぁっ・・・・!」

そっと私の肌の上に刻まれた傷のひとつに押し当てられた彼の唇に甘く囀らされる。

「んっ・・・・やっ・・・・あぁ・・・・」
「これも・・・・それにこれも・・・・」

唇が傷跡の上を優しく這い、それが終わると次の傷跡に移る。
甘美な電流が立て続けに全身を駆け巡り、堪え切れなくなって私の身体にキスの雨を降らせる彼の頭を、両手で掻き抱いた。

「みんな、カレンさんが、フィーナやさやか姉さんやみんなを護ってくれたからついた傷じゃないですか・・・・」
「はぁ・・・・やっ・・・・そ、そんな・・・・事・・・・」

彼の唇が触れるたびに私の身体に刻まれた傷が癒されていくような錯覚に陥る。
彼の唇が這うたびに私の身体に静かに燻っていた性の灯火が、激しい業火となって理性を、意識を焼き焦がし、燃やし尽くしていく。

「あ、あ、ああっ・・・・・や、あ、はぁん・・・・」

切なく乱れた吐息が収まらない。自分の唇から出るとも思えなかった甘えた喘ぎが止めらない。
自分の心が・・・・身体が・・・・彼を求めて止まない。彼の唇が、指が触れるたびにもっと激しく、もっと深く愛して欲しいと請い願う。

「あ、あっ・・・・ああっ! も、もうわ、私・・・・私・・・・」

自分の決して大きくない胸の膨らみが恥らう間もなく彼の手で愛撫され、その頂が彼の指に触れられ唇に含まれ可愛がられてしまう。
幾度目か数え切れない口づけの度に、彼への想いは胸が張り裂けそうなほどに膨らみ、深まり。決壊した理性という堰はその甘美な奔流の前にあまりに無力だった。

見られたくないこんな浅ましく淫らな自分を・・・・
見て欲しいありのままの偽らざる自分の本心を・・・・

相反する願いと想いはせめぎ合い、甘く溶けてゆく・・・・身体も心も・・・・
やがて僅かな痛みと共に自分が彼と結ばれた事を自覚し、歓喜と法悦に全てを呑み込まれ、カレンの意識は落ちていった。



――――6――――


「まさか・・・・ね」

思えば自分は常に肩意地を張って生きてきたように思う。

朝日が差し込む光に目覚めを強要されたカレンは、自分の傍らに眠る想い人に拗ねた様な視線を送る。
頭の下に敷かれた彼の逞しい腕枕の感触が心地よい。

先代の女王に仕え、その信任を得てからも努力を怠らず、男たちに肩を並べて働くために気を張ってきた。

そんな自分が本当の意味で気を抜けたのは親友であるさやかの前くらいだろう。
そしてそんなさやかの帰るべき場所、朝霧家の心安らげる雰囲気に惹かれていた事もこの際認めよう。
だからこそフィーナ姫のホームステイ先にあの家を選んだのだから・・・・だが

――――いくらなんでも達哉君にだなんて・・・・――――

彼に不満があるわけではない。彼に抱かれた事を後悔など微塵もしない。
誠実で、優しい人間である事はさやかと言う人物を通しての付き合いで十分すぎるほど判っていた。

――――私に年下趣味があったて言うの・・・・?――――

それでも誰か冗談だと言って欲しい。
出来の悪いドラマでもあるまいし、危ないところを助けてもらって恋に落ちるなんて・・・・自分はそんな柄じゃないと思うのだ。
恋に恋する少女と言う年齢でも性格でもない・・・・

――――人の感情ってのはロジックじゃ図れないものだけれど――――

はぁ〜〜〜
何度目か解らないため息を深々と吐くカレンにそっと声が掛けられた。

「おはよう。カレンさん・・・・・」
「・・・・あ」

自分に掛けられた声に思わず視線を想い人である少年へと向け、その優しい瞳に思わず大きく鼓動が跳ねる。

「大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ・・・・えっとその・・・・」

気遣う言葉に昨夜の情事を思い出し耳まで真っ赤なり俯いてしまうカレン。

「あ、いえ、その事もですけど、さきほどからため息ばかり吐かれているので・・・」
「あ・・・・」

しまった。
せっかく想い人と結ばれた朝になんと言う態度だろうか?
これではまるで・・・・



「ち、違うわ。そう言うわけじゃないの達哉君」

慌てたように手を振る。彼に抱かれた事を結ばれた事に不満も後悔も無い。
彼と想い結ばれた事実に幸福感で胸が締め付けられる。
ただ一緒にいるだけでこんなにも幸せで――――っ、

ボンッ!

明晰な頭脳が災いして自分の中の想いや感情を明確に分析し意識てしまう。
一瞬にして脳が沸騰し、耳まで真っ赤になって俯いてしまった。

「なら良いんですけど・・・・自分はカレンさんとその・・・・嬉しいです」

そんなカレンの様子に気付かずに達哉が、顔を真っ赤にしながらも、たどたどしく不器用に想いを紡いでくれる。
涙が出そうなほど嬉しくて、先ほどまでの馬鹿馬鹿しい迷いが跡形も無く消えていく。素直な想いがストンと自分の中に落ち着く。

「達哉君・・・・あの」
「カレンさん?」

もう認めざるを得ない・・・・

「あの・・・・今更だけど」

自分は・・・・

「貴方を愛しています・・・・」

そっと彼の唇を奪いカレンはその想いを受け入れた。
カレン・クラヴィウスは朝霧 達哉に恋をしてしまったのだと・・・・この少年に捕まってしまったのだと・・・・・




<完>