1-86 名前: 水死体 ◆VbCFpoV.fE [sage] 投稿日: 2006/02/07(火) 07:17:29 ID:sCuzvhWz

「やっぱさぁ、結先生に頼まれると断れないよね〜」
「だよねー」
廊下ですれ違う女子生徒たち。
なにかのプリントの束を抱えた彼女らは、一人の男の目の前を通り過ぎてゆく。
その男は、やや年輩の青年と言っても差し支えはないだろうか。
きっちりと着こなしたスーツ。
知性を湛える眼鏡に、引き締まった眼差し。
その男の名は深野順一(?歳 既婚者)。
言わずとしれた、この蓮美台学園の数学担当兼・生活指導の教師である。
生徒達に勉学を教える傍ら、遠方にいる者や、なにかしらの事情のある生徒のために設けられた学生寮・
蓮華寮の管理を妻共々勤める、真面目で厳しい深田教諭。
そんな彼は、最近思うところがあった。
それは、自身の持つ「イメージ」である。
良くも悪くも、深野は今まで生徒達に厳しく接してきた。
それが将来、彼ら彼女らのためになるだろうことを信じ、自分の教育方針として貫いてきたつもりだった。
だが最近、もう少し生徒達に優しく接しても良いのではないか、という思いが芽生え始め
それが彼の中に、小さなわだかまりを作っていた。

「はぅ〜☆ 結ちゃんカワイイよぅ。 お持ち帰りしたい〜」
「プリン食べてるところなんか最高だよね」
またもや、結のウワサをした生徒たちが通り過ぎる。
深野は思う。
たしかに野乃原結は小さく、子供のような愛らしい外見を持っている。
くわえて、教員としての責務を果たしながらも、優しくて誰からも好かれる性格であるとも思う。
しかし深野は、そんな結に敬意の念を抱いてはいるものの、決して自分は
彼女のようには出来はしないだろうとも思っていた。
そんなおり、またもや生徒たちの話が耳に入ってくる。
「あー! 結先生と同じ髪型」
「へへー、いいでしょ。 それにほら―――――」
なにやら、結の真似をしている者までいるらしい。
「・・・・・・・・・・(野乃原先生のように、か)」
顎に手を当て、考えることしばし。
同じ教師として、彼女を見習ってみるのも悪くないかもしれない。
そういった考えが脳裏をよぎる。
だが、そうは言っても漠然としたイメージしか浮かんではこず
具体的に何をどうすれば良いのかを考えあぐねていると
ふと、よく言われる言葉が、頭の隅に浮かんできた。
―――何かを習うには、まず形から―――
別段、昔からそのような持論があったわけでないのだが、どう見習えば良いのかわかりかねたので
とりあえずは古人ののたまうように、そういう所から入ってみようかと考え始める。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あらかた考えがまとまる。
とにかく、全ては家に帰ってからだ。
そう結論を出し、生徒達のためにと厳しい指導をモットーにしてきた深野順一は
決意を新たに、意気揚揚と職員室に戻るのだった。



―――――――――――――――

帰宅後。
色々と考えた末、「野乃原結」らしさを引き出すためのアイテムをいくつか用意してみた。
もちろん、右に習うべきは格好ではなく、雰囲気とか考え方とか、まあそういったものなのだが
しかしそれでは、あまりに抽象的すぎてわかりづらい。
そこで考えた結果、とりあえずは姿形から真似てみようと思い立ったのだった。
彼の足元に並ぶは、結っぽい靴下・カツラ。
大好物のプリン。
そして極めつけはなんといっても、お人形さんの着るような服であった。
結の着ている物とは少々異なるが、フリフリがいっぱい生えていて
煌びやかで舞台などに立てば、よく映えるであろう中世ヨーロッパ風のドレス。
深野が最後に用意したものとは、これだった。

靴下は学園からの帰宅の際に購入。
プリンも同じく、帰りのコンビニで。
そして、カツラとドレスは以前より彼自身が所持していたものであった。
こういう風に書くと、かなりの誤解を招くかもしれないが
別段彼に女装癖や、それらへの願望があったというわけではない。
ネタを明かせば、ン年前の学園祭で宝塚バリの劇を行ったおりに、彼が身につけた衣装であった。
急な怪我で、担任として受け持つクラスの生徒が出演できなくなってしまったために
人数が足りないからと、セリフは少ないからと生徒たちに頼まれ
しかたなく着て舞台に立ったのがこのドレス。
はっきり言って大の男には、こんな衣装など似つかわしくはない。
こんな格好をした深野と夜道でバッタリと出会えば、まず間違いなく110番通報されること受け合いである。
しかし、今は自宅。
くわえて幸いなことに、妻の美由紀は所用で出かけていて、夜遅くまでは帰ってこないはずだ。
リビングにある姿見の前に並べたそれらのアイテムを、もう一度よく観察してみる。
靴下、カツラ、ドレス、プリン。
プリンはまあ、あとで食べるとして、まずは靴下。
とりあえず、履いてみる。
布地を束ねてはきやすくして、足先を通す。
右足、左足。
女性用だったために彼の足には少々キツく、布地の間からスネ毛がはみ出していた。

履き終え、姿見にうつる自分の姿を見てみた。
が、当然というかなんと言うか、大した変化は見受けられず
これだけでは何も変わらないように思える。
続いて、カツラ。
被ろうと思い、改めて見てみると、ややこのカツラは結の髪より長めのように思える。
しかし別段、結とまったく同じでなくてはならない、ということはないのだ。
そう。
重要なのは、結のコスプレをすることではなく、彼女に成りきることにより
その考え方や気持ちなどを己がものとする事なのである。
けっして遊び半分でもなければ、女装をしたかったわけでもない。
そう、けっして、断じて、女装をしたいわけではないのだ。
別に、何もヤマシイことなどないはずなのだ。
深田は何故か、自分の心に言い聞かせる。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
もう一度、カツラを見る。
意を決して、手にした髪の束を目を閉じながら「えいやっ!」と被った。



うっすらと、目を開けてみる。
正直、ちょっぴりだが、鏡を見るのが怖かった。
だが姿見に映ったのは、意外に普通な、自分の顔だった。
深野の若かりし頃、長髪が流行った時代よりは少々後ではあったが
それなりに髪の長い若者たちもいたし、なにより彼自身
若い頃は伸ばしてみるのも悪くないかもしれないと思っていたのだ。
なのであまり違和感などはなく、むしろ自分も長髪にしていたら
このような感じだったのではないだろうかという、思いというよりは憧憬に近い感情が沸いてくる。
少し、ポーズを取ってみた。
人差し指と親指を開いた状態で顎に手をやり、斜に構える。
・・・・・・・・・案外似合っているかもしれない。
そんなこんなで、とりあえずはカツラを付け、結のような髪型にしてみたものの
やはりというか、当然のことながら、それだけで結の気持ちや考え方などがわかろうはずもなく
しかたなしに最後のアイテムである、ドレスへと手を伸ばした。
衣装の肩の部分を持ち、両手で広げてみた。
「・・・・・ぅ・・・」
さすがにこれには少々、というか、かなりの抵抗があった。
きらびやかでフリル付き。
しかも色はピンク。
主役級の衣装ではないにしろ、舞台の上に立てば遠くの観客席からでも映えるような出来になっている。
こんなに豪華で、素人にしては上々な出来の物を作ったのが
かつては自分が受け持ったクラスの生徒だというのだから、本来ならば胸を張りたいところなのだが
それを自身が、しかもコッソリと一人で鏡の前で着るというのは、あまり胸を張れたことではなかった。
しかもこのドレスは、女子生徒用だった。
自分はその女生徒が急な怪我で出られなくなったための代役であり、服の寸法など手直ししている時間などなく
そのままギチギチのパッツンパッツンの状態で舞台の上へと上がったのだ。
今では美しい思いでの一ページではあるが、当時は生徒達に『ジュン子ちゃん』などと
演劇の後しばらくの間、厳格な彼としては不名誉極まりないあだ名で囁かれた、いわば曰く付きの代物である。
「・・・・・・・・また着るのか、これを」
もう一度ドレスを両手で広げ、溜息混じりに一人ごちた。


―――――着替え中―――――


とりあえず、着てみた。
鏡の前に立つと、そこには見違えるような自分の姿が・・・・あろうはずはなく
どう見ても変態です、ありがとうございました―――と言わんばかりの女装した変態男が立っていた。
「・・・・・・・・・・・は〜・・・」
げんなりとした、溜息が出た。
見栄えはしないだろうものの、もう少しはマシな
一応『見られる』格好ではないかと思っていたのだが、予想は明後日の方向へと大きく裏切られ
鏡に映っていたのは、見てしまったことを思わず後悔したくなるような、そんな己の姿であった。
背中のボタンには手が届かなかったため、5つあるうちの3つまでしか止まっていなくて
しかも背中にくわえて胸元も大きく開いているので、とてもセクシーだった。
着終えたら、ポーズの一つも取ってみようかなどと考えていたのだが
子供が見たら引き付けを起こしそうなこの姿では、それは止めておいた方が無難というものである。
この有り様では、結を見習うもへったくれもあったものではない。
とにもかくにも、他人に見られたら誤解を招きそうな服はさっさと脱いでしまうに限る。
深野は急ぎ、ピンク色でフリフリの付いたドレスを脱ごうとしたのだが
そのとき、彼の後ろで小さな悲鳴が上がった。



トサリ、と落ちるビニール袋の軽い音。
「・・・・・・・ジュン・・・・・・くん・・?」
深野は、振り向けないでいた。
いや、振り向く必要性がないので、ひょっとするとあえて振り向かなかっただけかもしれない。
なぜなら、ドレス姿の変質者を映す姿見のその向こう。
そこにはリビングの入り口で固まり佇む彼の妻・美由紀の姿が映っていた。
その顔は驚きをベースに、かなり複雑きわまりない表情をしていた。
買い物をしてきたのだろう、取り落とされたビニール袋からは
網に入った、4つで158円のやや小振りのタマネギが転がり出た。
キチキチの状態で止められていたボタンが一つ、深野のドレスの背中から弾けて飛び
同時に彼の頭の中でも、何かが弾けて飛んだような気がした。
いろいろな意味で、彼の人生は今、終わりを告げたのだった。



―――――――――――――――

明けて翌日。
なんとか妻の誤解を解いた深野は、このドレスやカツラを処分することにした。
生徒の代役で出演し、なんとなくその記念として頂いてきてしまたことを後悔しつつ
彼は今、その衣装を持って学園へと登校していたのである。
手提げの紙袋に入れ、コソコソと。
まあ、このような服を自分が持ち歩いているということが
彼にどこか後ろめたい気持ちを感じさせていたのかもしれない。
かなりの挙動不審ぶりに、同じ方向へと向かう生徒たちからも訝しげな目を向けられる。
学園への道すがらを警察官にでも見つかれば、かなりの高確率で職務質問に合ったに違いなかった。

放課後。
本日の全教科課程が修了し、ある者は帰路に就き、またある者はクラブ活動へと精を出す。
朝は挙動不審だったものの、授業中はさすがにそんな素振りも見せず
厳格な教師として粛々と、休み時間に廊下を走り回る生徒たちに注意などしつつ
授業をこなしてきたのだが、放課後になると、いきなり朝の彼に逆戻りしていた。
手提げの紙袋を持ち、コソコソと。
中身は当然、昨夜の衣装。
それらを携え、彼は一路、一時期は廃部寸前にまでなったという演劇部の部室へと向かうのだった。

――――――――――


「あ〜あ、ついてないなぁ・・・」
溜息を吐きながら、ウェイトレスの制服の破けた部分を見て
渋垣茉理はブツブツと文句を口にした。
これも全部直樹が悪い。
彼女はそう言ったのだが、それは言い掛かりというものである。
いつものようにいつものテーブルで、いつもの天文部のメンバーが話に花を咲かせていると
華麗なウェイトレス姿に身を包んだ茉理が、本日試験的に実装されたという
ローラーブレードを履いて現れたのである。
いや、「現れた」というのは、少々言い方に誤りがあり、
この場合は、「突っ込んできた」と言った方が正しいのかもしれない。
「ぃきゃあああぁぁぁあぁぁぁぁっっ!! どいてどいてどいてどいてぇ〜〜〜〜〜〜っ!!」
いきなりの悲鳴に、何事かと振り向く天文部の面々であったが、全てはあまりにも遅すぎた。
DXパフェを3つもトレーに乗せた茉理が、叫びながら間近に迫っていたのである。
突然のことに避ける暇もなく、彼女は天文部のたむろするただ中へと突っ込み、辺りに破壊を撒き散らす。
倒れるテーブル。
上がる悲鳴。
彼女の持っていたDXパフェの一つは直樹の頭に、2つ目は弘司の顔面へとめり込み
3つ目は床に落ちて、ガラスの器ごと砕け散った。



いきなりの災害に見舞われた天文部員たちであったが、不思議と、奇跡的にも女子たちに被害はなかった。
汚れ役は男子だけで十分ということなのだろうか。
直樹の頭に刺さった苺混じりのパフェクリームの固まりが、グチョ〜〜・・と垂れ下がり
顔面を汚しながら彼の膝の上にボトリと落ちた。


そんなこんなで、男子二人は教室へと戻り、今日の2時間目の体育の授業で仕様した
汗臭いままのジャージに着替え、茉理は破れて汚れたウェイトレス服から
学園指定の白を基調としたセーラー服へと着替えていた。
今はというと、彼ら彼女らは演劇部の部室へと向かっている最中である。
いつも裁縫道具を常備している保奈美ではあるのだが、その中には生憎と合う色の糸がなかったので
しかたなしに、豊富な布や糸の置いていそうな演劇部の部室へと向かうことになったのだった。
その間中も茉理はブーたれ、保奈美たちには素直に謝るが
彼が原因というわけではないのに、茉理は何故だか直樹には当り散らしていた。
そのときは、たまたま茉理と正面衝突をしたのが直樹だったというだけで
茉理のユニフォームが破れたのは、ぶつかって倒れた拍子に
イスの背もたれの継ぎ目にスカートの裾が挟まり、勢いと彼女の重さに耐えられなくなった布地が
景気のいい音を立てて裂けたのが原因である。
理不尽な怒りの矛先を向けられる直樹と、茉理をなだめるちひろ。
それらのやり取りを温かい目で見守るその他の面々。
とにもかくにも、いつもの騒がしい天文部ご一同は、服の修理のために
一路、演劇部の部室へと向かうのだった。


――――――――――

再び、教師の深野に視点を移す。
彼は今、演劇部の部室にいた。
台本の収められた本棚。
誰かの食べ差しのポテチの袋。
いくつかの木箱に乱雑に放り込まれて積まれたままの小道具の山に
壁際のハンガーに所狭しと掛けられた、様々な舞台衣装。
それらの服が日焼けしないためにカーテンは閉め切られており、室内は全体的に薄暗い。
部屋の中にいるのは、深野一人だけだった。
演劇部の部員たちは公演が近いのか、今は体育館で練習中なのだ。
別段、深野は誰もいないのを見計らったり、狙ったてやって来たわけではなかった。
部員の誰かにでも、
「家の押入を漁っていたら出てきたんだ、よかったら使ってくれないか」
などと言って、渡すつもりだったのだが。
残念なことに誰もおらず、深野はドレスとカツラの入った紙袋を片手に
どうしようかと、途方にくれていたのだった。

昨日の夜、妻である美由紀に見つかった折に、別に捨ててもよかったのだ。
だがしかし、なんとなく。
なんとなく、このまま捨ててしまうというのももったいない気がした。
カツラは市販の物かもしれないが、ドレスの方はたしか生徒たちの自作だったはずだ。
ミシンや手縫いで夜なべしたり、文化祭の前の日など
生徒達は泊まり込みで、色々な道具や衣装などを作り
寝る間も惜しんで舞台稽古に励んでいたではないか。
そんな彼ら彼女らの努力の結晶を、おいそれと捨てたりするなど
厳しいが生徒思いの彼には出来ようはずもなく、それならばと
使ってくれそうな人のいるところに譲ろうと、今朝方学園へと持ってきたのである。



「・・・・・・・・・・よし」
このまま置いて帰ろう。
別に誰かに手渡さずとも構わないはずだ。
壁際の衣装掛けの中に、そっと置いておけばいい。
そう結論付けると、深野は紙袋からドレスを取り出し、余っているハンガーにそっと袖を通すと
衣装掛けのバーへとハンガーの首の部分を掛け・・・・そこで、止まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
深田は思った。
ここに掛ければ、自分はもう二度と、この衣装を手にすることはないだろう。
別に、それはかまわない。
これから先、自分ではこんな物を着ることはないし、
なによりここに置いておけば、いつかは他の誰かが使ってくれる。
ゴミの日に出したり、自分の家の押入に眠らせておくことを考えれば
この方が作った生徒達の努力も、きっと報われるに違いない。
だからこそ、ここに置いて帰るのだ。
惜しくはないはずだ。
生徒達と共に舞台に上がった、思い出の品。
それを、再び誰かに使ってもらえるのだから。
しかしそうすると、もう二度と自分は、この衣装を手にすることはない・・・・

・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
こんな思考が彼の頭の中で堂々巡りを始め、ドレスを衣装掛けに置く最後の踏ん切りを
彼に付けさせないでいたのだった。
優柔不断という訳ではないのだが、ただなんとなく。
手放すのが惜しいわけではない。
もったいない、と思うこともないのだが・・・
だが、これでサヨウナラというのも、少々寂しい気もしないではない。
深野の中で、言い表しがたいような心の葛藤が展開される。

「・・・・・・・・よし」
考えることしばし。
それならば、と。
もう一度だけ、この衣装を着てみようではないか。
昨日の夜、この服が自分には死ぬほど似合わないことは鏡で見て、思い知っていた。
それをもう一度見れば、きっと手放す踏ん切りも付くだろう。
そう思い、深野はあのドレスを、もう一度来てみることにしたのだった。

――――――――――


再び、着てみた。
入り口のところにあった電気のスイッチを点け、鏡の前に立つ。
相変わらずというか、なんというか。
全然似合わない。
いや、似合っても逆に困るのだが。
まあとにかく、これで着納め。
最後に何か、ポーズでも取ってみようかと思い、しばし考え
幾ばくかの逡巡の後、ちょっと前に流行った、胸の大きな女性二人が
自らの膨らみを寄せて上げて強調する、「だっちゅうの☆」という仕草を思い出す。
幸いなことに、このドレスの胸元は大きく開いていた。
おまけに背中のボタンが上から2つ分ほどが止まっていないため、かなりセクシーである。
昨日ちぎれ飛んだはずのボタンは、演劇部への寄贈ということで
妻である美由紀が直してくれた。
とにかくこれで最後なのだから
一丁やってみるかと、脇を閉めて、手で胸の肉をかき集め、寄せてみたところで
突然、背後の扉が勢い良く開いた。



ガラガラガラララ・・・!
続いて聞こえてきたのは、複数の人間の声。
しかもこの声の主たちは、深野のよく知るものだった。

「だけどこれがドリフなら、カフェテラスにいた人間全員での
 ケーキぶつけ合いに発展して・・・」
笑いながら扉を開けて入ってきたのは、言わずと知れた天文部の部員たち。
電気がついていたので、誰か部室にいるのだろうと、ドヤドヤと入ってきた。
しかし彼らはそこで、この世のものとは思えないような光景を目の当たりにすることになった。
厳格な生活指導の教師である、深野のドレス姿。
しかもポージング付き。
ピンクのフリルがなんともキュートで、大きく開いた背中と
スカートの裾下から覗く、スネ毛がとてもプリティだった。
まさに悪夢である。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
悪夢だと思ったのは、それは見られた深野とて同じこと。
扉が開いた瞬間、ビクッ!!と肩を震わせ
何もできず、どうしてよいのやらもわからずに、昨夜と同じようにその場に固まってしまっていた。
空気が、白かった。
「・・・・・・・・・・・・深野、せんせい・・・・・?」
恐る恐る、この気まずい沈黙を破ったのは、長いポニーテールがチャームポイントな天ヶ崎美琴であった。
しかし美琴は、その一言きり、二の句を次げずにいた。
その場にいた全員が動けず、言葉も紡げず、ただただ気まずい空気が
白色灯の光で満たされた演劇部の部室を支配した。

「・・・・・・ぁ・・・・ぁぅ・・・」
そして、次に沈黙を破ったのは、小柄で植物の世話が大好きな少女・橘ちひろであった。
「・・・・・そ、んな・・・・深野先生って・・・・深野先生って、厳しいけど・・・こんな人じゃないって」
信じてたのに〜〜〜〜〜〜〜っ!・・・・・・
力一杯逃げ去るちひろ。
言葉の最後は、廊下の遥か向こうの方から聞こえてきた。
脱兎のごとく去り行く彼女の瞳の端からは、煌く何かが零れ落ちたようにも見えた。
ちひろの叫びが凍り付いた時の沈黙をうち破ったのか
続いて隣にいた保奈美が、フゥっと意識を失い、その場に崩れ落ちた。
あまりに刺激が強すぎたためか、脳の認識力が耐えられなくなり
意識という名のブレーカーを落としたのだった。
直樹は倒れた保奈美をあわてて支え、弘司はあんぐりと口を開けたまま。
美琴はあまりの光景に、口から白い靄のようなものが出かかっていた。
それが彼女の魂だとすると、早く戻さないとマズいかもしれない。
バサリ・・・
やがて、何か軽い物が落ちる音がした。
茉莉が手に持っていた、スカートの破れたウェイトレス服が落ちたのだ。
その修復待ちの服は、落ちた拍子に部室の入り口脇に置いてあった
小道具を入れてある箱にかぶさり、山盛りで積んであった何やらよくわからない道具たちが
ガラガラと音を立てて崩れた。
同時に、深野が今まで積み上げてきた教師としての威厳や信頼も、ガラガラと音を立てて崩れたような気がした。
昨日に引き続き、彼の人生はまたもや終わりを告げたのだった。