7-633 名前: 灰色 猫 [sage] 投稿日: 2007/12/24(月) 23:18:02 ID:s5Ic2HAQ

「じゃ、孝平、頼むな」
『アムロばりにチリ毛の癖に…』
 言い流す司に舌打ちして、孝平は教室を出た。
 手にしているのは、クラスごとに提出する校内美化に関するアンケートのプリントだ。
 ジャンケンに負けた孝平は、今からこれを別棟の監督生室まで届けなければならなかった。

「アレ〜…?」
 戸棚の奥に仕込まれた隠し扉のさらに奥をあさって、不満そうな声を上げた。
 そこにあるはずのものが、どうしても見当たらなかった。
 瑛里華が探しているのは、輸血用の血液パックである。医療施設でもない普通の高校には、
保健室にさえ置いてないものだろうが、それを欲しているのは、彼女が間違いなく
吸血鬼であるからに他ならない。
「…もう、バカ兄奴っ! 名前書いといたのに」
 そう悪態をついた瑛里華は、扉を閉めて立ち上がった。
 隠し扉の先は専用の冷蔵庫になっていて、血液パックを保存できるようになっているのだ。
瑛里華の兄である伊織が、生徒会予算帳簿を操作して作った使途不明金で、増築したのだ。
 吸血鬼の生理を満たすための設備である。
 仕方がなく瑛里華は椅子を引っ張ってきて、高いところの戸棚を探る。ここにも
同じような構造の冷蔵庫が隠されている。
「んっ… っと…」
 小柄な瑛里華には少し椅子の高さが足りなかったようで、背伸びをして懸命に手を伸ばすのだが、
やはり、奥のほうまで手が届かない。
 仕方がなく、瑛里華は椅子の背もたれの透かし彫りの隙間に足をかけた。

「失礼しま〜す」
 孝平は、だらしなく間延びした調子で声をかけて監督生室に入った。
 が、瑛里華は戸棚に頭を突っ込むようにして作業していたためか、彼の存在には気付かずにいた。
 自分に気付かない瑛里華に、孝平は、声をかけようとしたが、躊躇われた。
 瑛里華のお尻のところでヒラヒラ揺れるスカートの下、ピンクと白のストライプの
パンティーに目が吸い寄せられたからだ。
 落ち着いた色調のスカートから覗いたお尻の二つの丸みと、その間の小さな丘まで
ピッタリと寄り添い守っているストライプの布地が、疎ましかったがその布切れに
惹かれているのも事実だ。
 孝平は、自分に正直になって瑛里華のパンティーを穴があくほど注視した。いや、
いっそ穴が開いてしまえばいいと思った。
 瑛里華がヒョコヒョコと背伸びするたびに、二つの尻肉がムニムニとよれて、皺がよった。
 その皺の間から、中が見えてはくれないか、とハラハラしながら、かなわない願望を
募らせ、観察を続ける。
 生地の材質はおそらく木綿だろう。化繊かもしれないが、繊維間にたっぷりと空気を
含んだ温かそうな質感からして、シルクでないことはたしかだ。今、頬擦りすれば、
彼女の体温と同じぬくもりを頬に感じることができるだろう。また、匂いを嗅げば、
繊維の中に蓄えられた瑛里華の香りをいっぱいに吸い込めるに違いない。
 孝平は、二つの尻肉の間の恥丘部分に鼻を埋めたい衝動に駆られ、一歩踏み出した。だが、



「きゃっ!」
 足を踏み外した瑛里華が、バランスを崩して悲鳴をあげ、孝平はその声に我に帰った。
 あわててわたわたと振り回す瑛里華の手から何かが落ちる。
 瑛里華は、猫のような俊敏さで腰掛をけって体勢を立て直し、パッと椅子から飛び降りた。
 当然孝平は、飛び降りた拍子にスカートがめくれて露わになった、瑛里華のパンティーを目で追った。
 トンと、床に下りた瑛里華は、落としてしまった血液パックを拾い上げてから、
初めて孝平の存在に気付いた。
「っ!!」
 とっさに血液パックを後ろ手に隠した。
「見たの!?」
 孝平に一部始終を見られたことに、瑛里華は驚くほど過敏に反応した。
「いや、見てない、見てない」
「ホントに?」
「ああ、っていうか何が?」
「怪しい! 本当に何も見てないのね?」
「だから、何のことなのか…」
 瑛里華は血液パックを見られたことを杞憂していたのだが、孝平はあくまでもパンツを
盗み見たことを誤魔化そうという、それぞれ異なった意図で話をしていたため、どこか
かみかみ合っていなかった。
「赤いのとか」
「赤… (ピンクだったはずだったけど…)赤いのは見ていないけどな…」
「『赤いのは』って、他に何か見たってこと? ちょっと! 何を見たのよ」
「何も見てないって。だいたい――」
「とぼけないでよ。血液、見たんでしょ!?」
 じだんだ踏む瑛里華が振り回す手には、血液パックがにぎられている。
 これを見て孝平は初めて血液パックを認識した。
「なんで、血なんか…?」
「あ……」
 瑛里華も自分が犯した失態に気づいたようである。
「いや… これは…」
 血液パックと自分の顔を交互に見比べる孝平に、瑛里華は言葉が続かなかった。
「今時、首筋から血を吸うなってエレガントじゃないじゃない? だから――」
「血を吸うっ!!?」
「あっ……」
 動転した瑛里華が、また余計なことをしゃべってしまったと悔やんだが、もう遅かった。
「吸血鬼だった――」
 孝平のむける懐疑の眼差しが、瑛里華を吹っ切らせた。
 自棄になった瑛里華が、開き直る。
 瑛里華は孝平に飛びつき、そのまま壁際に押し付けた。
 その動きの敏捷さも腕力も、人間離れしていた。少なくとも普通の女の子の動きではなかった。
 運動部所属している娘なら納得も行くが、瑛里華の体形は華奢そのもので、体育会系の
それには似つかないものだった。
 突然のことに先手を取られた孝平も、我に帰ってすぐに瑛里華を引き剥がそうとしたのだが、
それ以上の力で押し返されて、結局押さえ込まれてしまった。
 孝平は、異常な状況は自覚していて、冷静なつもりであったが、思っている異常に動揺していた。



今起きていることを理解できても、それに対処することを思考できないのがその証拠であった。
 背伸びした瑛里華の顔が、ゆっくりと近づいてきた。
 「ああ… 吸血鬼に血を吸われるのだろう」と、冷静に思考しながらも、頭のどこかで、
そんな非現実的なことが起きるはずがないと思っていた。
 だから、声が出せなかった。
 瑛里華の頭が、孝平の首筋にもぐりこむくらい近づいた。
 孝平は、もう一人の自分が別の場所から自分を見ているような錯覚を覚えながら、
密着する瑛里華の体臭を拾った。
 吸血鬼かもしれない女の子の体臭は、人間の女の子のものと何も変わらない、整髪剤の
匂いの混じった甘酸っぱいものだった。
 孝平の襟元に顔を埋めた瑛里華が、フウッとか細い吐息を、首筋に吹き付けた。
「生きてくうえであらゆる事を知る必要なんてないんだから、余計なことにこだわらずに
今を楽しむことを考えなさい。でないとホントに血吸っちゃうんだから」
 瑛里華はあえて高邁な口の利き方をしたのだろうが、孝平の頭には入っていなかった。同年代の女の子が密着しささやくというのは、彼女の体温が大気を媒体にほのかに伝わり、
明るい色の柔らかい髪が頬をくすぐるのだ。
 孝平にとって新鮮であってわかりやすい、女子という性の実感なのである。
この期に及んでも、このまま彼女を抱きしめてみたいなど思っていた。健康な男子の
生理から来る衝動だ。
 スイっと瑛里華が飛び退く。
 孝平意識の大半は、まだ圧倒されたまま、彼女の吐息があたっていた首筋を手でなぞった。
「この文明社会では、吸血鬼の存在なんて誰も信じないんだから」
「うぅ…」
 そう言う瑛里華の表情はもう悪戯っぽいものに戻っていた。それでも、孝平の口から
やっと出た言葉、というよりはうめきのようなものだった
 瑛里華は吸血鬼なのか? 彼女は自ら名乗ったわけではない。会話のながれと状況証拠
からそう判断できなくもないが、彼女がただふざけているだけなのか、それとも吸血鬼
であることを他言しないように恫喝されているのか。簡単に答えが出せそうなことさえ
判断できない状況が、孝平の非日常の始まりだったと、彼は後に気づくのだ。

 あれから、プリントを放り出すようにして監督生室を出た。
 幸いにも瑛里華は追ってこなかった。
 思い出してみればやはり恐怖に値することだった。吸血鬼に血を吸われそうだった
かもしれないのだ。
 結局、その日の午後の授業の内容などほとんど頭に入らなかった。ただ監督生室での
出来事が頭の中でくり返し流れていた。
 恐怖心から染み出す焦燥感が、家路に着く孝平の足を急がせた。
 自宅。といっても修智館学院の生徒が帰るのは学生寮である。自室と表現したほうが
正確かもしれない。
 孝平は白鳳寮の建物内で、すれ違う誰にも声をかけることなく歩いた。自室のドアの前で、焦る手で鍵を取り出す。
 このドアの向こうは自分だけの空間である。我が身に仇なす全てのものから守ってくれる。
瑛里華の怖いのだって、この中に入ってしまえば平気だろう。住居のもたらす安堵感が
子供じみた感慨を孝平にもたらしていた。
「!?」
 出掛けにたしかに施錠したはずだが、ドアの鍵が開いている。しかし、すぐにでも家の中に
入りたい衝動に駆られた孝平の体は止まらない。



「おかえり」
 誰もいないはずの部屋の中から女の声がする。
声の主が正確に誰であるかは問題ではない。ただ今は部屋の中から女の声が聞こえたことが
恐ろしかった。
 孝平は、身を強張らせ、そして、今度こそその場から動けなけなくなった。
『瑛里華が待ち構えていたのか?』
 それだけが頭に浮かんだ。
「おかえり。孝ちゃん」
 孝平は、声の主を足元から見上げていく。
 白のソックスに、学園の制服、そのうえにエプロンを羽織っているその娘は、土鍋を持っていた。
 顔を確認するのが恐ろしかった。だが、
「陽菜…?」
「うん」
 同じクラスの陽菜だった。彼女は返事をして微笑んだ。
 エプロンをつけて炊事をこなす女性の姿は、孝平をやさしい家庭のイメージで包み込んでくれた。
 孝平の身体に肉体の実感を取り戻してくれた。表現するなら、渇いていた皮膚が水気を
含んで膨らみ、ふんわりとした熱が肉に満ちて、骨格がそれをしっかりと支えている。
自分自身の身体がそこにある感覚は心地よいものであった。
 孝平は、それから二呼吸ほどおいてから、陽菜に問うた。
「あの、何してるのかな…?」
「押しかけ女房!」
 陽菜の態度はまるで悪びれる様子がなかったが、それが屈託のないものに感じられた。
「ごめん…  調子に乗りすぎた。やっぱり嫌だよね」
 少しまじめな表情になった陽菜はそう言ってから、テーブルの上のカセットコンロに
土鍋を置いた。
 このとき孝平は不法侵入されたことなど忘れて、しょげる陽菜に後ろめたさを感じたのだ。
「学食のメニューばかりだと栄養も片寄るかと思って。それに毎日外食してたらお金かかるから、
たまには自炊したほうがいいんじゃないかなって」
 進学校である学園の生徒達はは基本的に基本的に『いいとこ』のお坊ちゃんのお嬢ちゃんが多い。
が、孝平のような一般人や司のような者もいるのだ。ようするに全ての生徒の懐が無尽蔵
というわけではないのだ。
「その辺は鉄人が考えてくれてるさ」
「じゃあ、ちゃんとバランスよく食べてる? 好き嫌いして残してない?」
「いや、それを言われると…」
「雑炊作ったんだけど、食べてくれる?」
「ああ…」
 そう言うと陽菜の顔に笑顔が灯る。
「孝ちゃんキッチンぜんぜん使ってないのね」
「ねぇ、ところでその孝ちゃんてのはなに?」
「忘れちゃった? 小さい頃はこう呼んでたんだよ。昔のこと、忘れちゃった?」
「そう言われればそんな気がしないでもないけど、ちょっとなぁ…」
「二人っきりのときはこれでもいいでしょ?」
『それなら……』



 孝平は、陽菜の求める深い意味まで考えずに納得してしまった。
 妻が夫にするように陽菜は、孝平のカバンを受け取った。
「ところで孝ちゃん」
孝平のカバンを受け取りながら、さっそく孝平を"ちゃん付け"で呼ぶのだが……。
「…吸血鬼って知ってる?」
「……吸血… 鬼?」
 陽菜の口から出た吸血鬼という単語は、孝平に昼間の出来事を鮮明に思い起こさせた。
「うん。 ドラキュラとか、血を吸うやつ」
 ブレザーを脱ぎかけた孝平の背中で、陽菜は穏やかな口調で尋ねる。
「さ、さぁ…」
 とぼけてみたが、これは不自然だった。
 瑛里華との一件があった孝平は、やもすれば陽菜も吸血鬼なのかもしれないと推察していた。
 振り返ってしまえば、陽菜が真っ赤な口をあけ牙を光らせているのではないかと思えて、
孝平はその場で身を強張らせた。
「伝説に出てくる吸血鬼はドラキュラ伯爵が有名だよね。トランシルバニアの。十字架や、
日光、にんにくを嫌い。銀の武器か白木の杭でないと倒せないって言うのが月並みだけど」
 陽菜の口調は、詰問や恫喝といった類のものではないと思えた。それでも孝平は振り返れずに
立ちつくしていた。
「でも、伝承されているものと実在する吸血鬼の生態はちょっと違いがあるの。例えば、
生息場所は欧州に限らない。本場は東欧諸国。西欧にはやや少なく、北米にも西欧よりも
多いけど密度的には少ない。アフリカ、オセアニア、中南米には少なく、東欧より東の
ユーラシア大陸にはほとんど皆無で、日本に至っては極めて少数しかいない」
 陽菜は、寮の部屋に備え付けられている簡易キッチンで何か作業しながら話を続けた。
「十字架を嫌うというのは、キリスト教会によるデマ、まったく効果がない。日光を嫌うのは、
日光に含まれる紫外線に対しての防御機構がほとんどなく、代謝を著しく阻害するから。
このため一般に吸血鬼には色白な形質の個体が多い」
「………」
「にんにくを嫌うのは、にんにく中のタンパク質に特異なアレルギーを示すのが原因。
にんにくに限らず、ネギなんかのりんs類にも同様のアレルギーを示す。ホワイトアークも同様。
似たようなので銀でできた武器が有効なのも、銀イオンに対して強烈な金属アレルギーを
引き起こすため。敏感な固体は、銅イオンにも同様の反応を示す。退治するのには欠かせないわ」
 ふと、退治という表現から、陽菜は吸血鬼ではないように確信できた気がした。楽観的
で短絡的な推察だが、ストレスを払いのけたい孝平の深層意識が、そうさせたのだろう。
 孝平が振り返った先で、陽菜は、テーブルの上に取り皿を並べていた。
 これが自分のいるべき日常なのだろう、とハッキリとしたものではない思考が、頭の中を
漂って、孝平は陽菜の姿を見守った。
 だが、陽菜は再び孝平を非日常にいざなうように、吸血鬼の話を続けた。
「五感は人間よりもかなり優れ、味覚、嗅覚はもちろん、可視光のレンジが広く紫外線・
赤外線域の一部にも感度がある。また、聴覚においても、高周波・低周波域を聞き取る
ことができ、なおかつこれらを発声する事で犬やコウモリと単純なコミュニケーションを
とることができるの、コウモリや狼に変化するっていうのはここから来たものね。もちろん
老齢の固体は本当に変化するけど」
 それにもかかわらず、陽菜は、いつまでに立ったままの孝平に不思議そうな顔をして、
彼の着替えに手を貸した。



「意外と知られていないけど、川、海、湖や、お堀なんかの流れる水の上を姿見で渡る
ことができないの」
 孝平が脱ぎかけたブレザーを、陽菜は後ろで受け取ってくれた。
「ねぇ、孝ちゃん。気付かないだけで、吸血鬼って意外と近くにいるみたいね」
「ななな、なに言ってるのさ。吸血鬼なんてもんが実在するわけが―――」
 孝平は、動揺を隠せず、またとぼけた。
「本当に心当たりない?」
「きゅ、吸血鬼なんてもんが本当に…」
陽菜は孝平の言葉に耳を傾けつつも、彼が脱いだブレザーの襟に鼻を押し付け、大きく
息を吸い込んだ。
「よりもよって『メス』の臭いね……」
 何かを確信したようにそう呟いた。
「……ドロボウネコ奴!」
 最後に唾棄した台詞には、明らかに殺気がこもっていた。